桑田佳祐さんて、こんな繊細な孤独も描けるんだ。
歌のタイトルに『夏』とあるけど、全然夏っぽくないよね。
むしろ、夏の終わりの気配に満ちている。
1982年、作詞作曲 桑田佳祐。
発売後、研ナオコに楽曲提供している。
研ナオコといえば、1976年「あばよ」。
1978年「かもめはかもめ」が大ヒット。
共に、作詞作曲 中島みゆき。
そして、1982年にこの『夏をあきらめて』。
この時、中島みゆきの楽曲提供と思った人が多かったのでは。
私もその一人である。
研ナオコの声がベストマッチ
私が初めてこの曲を聴いたのは、TVで研ナオコが歌っているのを見た時だと思う。
だから、この曲がサザンの歌だと知ったのは、後からで、「作詞作曲 桑田佳祐?」と、少し驚いた事は記憶に残っている。
研ナオコの、少しかすれた声。
強く歌い上げない歌い方。
感情をぶつけるというよりは、静かに滲ませるような表現。
この曲は、研ナオコの歌声がとてもハマっていた。
私の中では、サザンオールスターズの歌というよりは、研ナオコの歌である。
桑田佳祐の”言葉を詰め込みすぎない美学”
物語は海辺から始まる。
本来なら楽しいはずの夏の日。
でも、遠くでは雷の気配があり、雨を暗示している。
この天候は、二人の関係そのものを暗示しているかのよう。
「この恋は、もう長くは続かない」
そんな予感が、冒頭から漂っています。
二人はきっと、この夏を楽しみたかったのではないでしょうか。
湘南の海へ行き、笑い合い、恋人らしい、楽しい時間を過ごすはずだった。
だけど、いつの間にか二人の間に溝ができてしまった。
きっと誰かが恋に破れ
噂のタネに邪魔する
作詞作曲 桑田佳祐
ここの解釈は分かれる部分。
周囲の噂や他人の失恋が、二人を気まずくさせたのか。
あるいは、二人の恋そのものが、誰かの嫉妬や噂の対象になったのか。
確かなのは、
「二人だけの世界ではいられなくなった」
ということ。
そして、突然雨が降ったからか、または、海から上がった直後なのか。
彼女の身体は濡れたままです。
心が落ち着かせる余裕がなかったのか、乾かす間がなかった。
胸元が揺れたら
しずくが砂に舞い
作詞作曲 桑田佳祐
桑田佳祐さんらしい映像的な表現。
胸元から落ちる水滴と、水着に着いた砂と共に砂浜に散るしずく。
美しい描写なのに、なぜか切ない。
「この瞬間が終わってしまう。」という予感。
二人は喧嘩をしたわけでも、別れ話をしたわけでもない。
ただ、何かを心にしまい、本音も言えないまま終わっていく。
だからこそ、辛い。
引き止める言葉も見つからない。
だから、「あきらめの夏」なのだ。
しかし、サビの部分では、男性の本音が、、、
「もう一度輝かせるから、そばにいて。」
「昔みたいな二人になろう。」 みたいな、
そう心の中では思っていて、別れを受け入れられないでいる。
そして、2番では
もう雨雲がそこまで来ている。
二人の別れも、避けられないものになってきている。
とうとう雨が降り出した。
悔しげな彼女と
かけこむ Pacific Hotel
作詞作曲 桑田佳祐
雨を避けるため、二人はホテルへ。
彼女は「こんなはずじゃなかった。」
という、悔しいような悲しいような、、、
ホテルの部屋の窓越しに、寂しそうに海を眺めている。
そして、体も冷えたのでしょう。
熱めのお茶を飲み
意味シンなシャワーで
作詞作曲 桑田佳祐
彼女がシャワーを浴びている気配を感じながら、恋人同士として、最後の親密な時間を過ごしているが、この後情事に及ぶことはできず、寂しさが沸いてくる。
ここは、二人でシャワーを浴びているかもだけど、桑田さんはあえて曖昧にしたのだろうか?
最終的に、彼女は泣いています。
男性も心で泣いているのでしょう。
お互い好きなのに、どうにもならない事情がある。
この曲、残酷ですね。
そして、雨が上がります。
虹も出て、美しい景色が見える。
しかし、その美しさは、まぼろしのよう。
まるで、幸せだった時間そのものが遠ざかっていくようです。
そして、この日を最後に別れたのでしょうか。
この歌は
「愛しているのに、どうにもならなかった大人の恋の歌」なのだと思います。
あくまで、私の解釈です。
最後に
研ナオコの「夏をあきらめて」は、終わった恋を、静かに受け入れているよう。
一方、桑田佳祐の「夏をあきらめて」は、恋の終わりを知りながらも、彼女を手放したくない、諦めきれてないように聴こえる。
同じ歌なのに、歌い手が変わると、”あきらめ”の意味まで変わって聞こえるのが面白い。
とても、深みがある、渋い楽曲。
研ナオコと桑田佳祐の二人の「夏をあきらめて」を聴き比べてみると、この楽曲の奥行が何倍にも広がります。


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